ごっこ遊び
子供はごっこ遊び、好きですよね。
あれは精神の発育としても大事なことらしいですね。
そもそもごっこ遊びっていうのは自分と他人の違いを理解する第1歩と言われています。
例えばお父さんがビールを飲むのを真似たり、お母さんのお料理を真似たり、ごっこ遊びは他人の動きを真似ることから始まります。
でも真似るということはなぜそんな行動をするか背景を想像しなければなりませんよね。
例えば、お父さんはビールをのむという動作には、お父さんは会社で仕事をして帰宅し、疲れているから好きなビールを飲む、という背景がありますよね。
わざわざ口にするまでもない背景ですが、これは相手の立場になって考えることが出来ないとイメージ出来ません。
つまり、自分と他人が違う思考を持っていることを知ってそれを想像し初めて出来ることですね。
子供の場合、最初は自分と他人の違いを知りません。それが、自分とお母さんお父さんという小さな社会で、自分と他の人が違うと知り、幼稚園や保育園でもっと色んな人がいて色んな考えがあることを知ります。
つまりごっこ遊びが出来るということは、精神がきちんと発達しているということです。
さらに幼稚園などでするおままごとやヒーローごっこはより複雑なものになります。
例えばおままごとをするなら、集団の中で共通の認識を持たなくてはなりません。
お母さん役なら、お料理を作ってお父さんの帰りを待ちますよね。バラバラな考えをもつ集団の中で、皆が一つの物事に関して共通の認識をもつのです。言い換えると、常識をもつようになるのです。
こうして成長していく子供ですが、ごっこ遊びにもそのうち興醒めしていきます。
ヒーローになりきって、怪獣と戦ってた男の子もお姫様になりきって優雅な生活をしてた女の子も、現実を見始めます。
学童期になると大体現実味のないごっこ遊びはしなくなるようです。
まぁ現実と想像の区別がはっきりしてくるんですね。
例えば、子供がおもちゃを買ってもらったとします。幼少期はそのおもちゃに用途以外に無限の可能性を感じたのを覚えている人も多いでしょう。買ってもらったのが怪獣の人形だとしたら、この怪獣は実は喋れて仲良く遊んでたら話しかけてくれるようになるんだと思ったり、ゲームソフトだとしたら、何か裏技で自分だけこのゲームの世界に入ってしまうかもしれないと思ったり。
ですがある程度成長してからおもちゃを買ってもらった時はそんな想像しませんよね。あくまで現実的な楽しみを想像したはずです。怪獣の人形は眺めたり飾ったりして楽しみたいと思うだろうし、ゲームだって、やりこみ要素が充実してるといいなぁと思ったり。
そうやって現実を受け入れていくのが成長なんですね。
だから大人には子供の思考や発言が突飛なものにみえるんです。
ちなみにわたしは未だにごっこ遊びが大好きです。
人の真似したり、誰かを観察してその人らしくなりきったり
つまり、まだまだ精神が成長するってことですかね!?
いやーこりゃまいった…これ以上成長したらどーしよう////
というわけで久しぶりの日記でした。
ちなみに、今日は隅田川花火大会らしいですよ!
わたしも浴衣着て花火見たかったですわ。浴衣 花火といえばときめきですよね。いいないいなー